【日記】ビルダーバーグ会議は、5月14日-16日なんですか?
昨日は、ロックフェラー回顧録を読んでいました。三極委員会について書かれています。
「三極委員会は、ビルダーバーグと同じく、陰謀論者たちが描写するよりもずっと温和な組織だ。委員会の結成は、幅広い基盤に立って、国家間の差異の橋渡しをしようとする試みなのだ。この場合、橋渡しとは日本を国際社会に招き入れることだった。」(P.531)
ビルダーバーグへの日本人の参加を打診したが断られたため、ブレジンスキーさんと話し、宮沢喜一、大来佐武郎らを招待した勉強会(日本人4名)が開催され、翌年の1973年10月に「日米欧委員会」が誕生した経緯も書かれています。
「わたしたちは会員網を広く張り巡らして、労働組合の指導者、企業のCEO、著名な民主党員と共和党員に加えて、名高い大学教師、大学の学長、外国関連の非営利団体の会長をスカウトした。アメリカで最もすぐれた知性の持ち主と思える人物ばかりだ。ヨーロッパと日本でも、これに匹敵する高名な代表者が集められた。」(P.533)
最初に集めた委員のなかに、「無名の」ジョージア州知事のカーターさんが入っていたことが、予期せぬ結果をもたらしたと書き、予期に反して大統領に当選してしまったカーターさんについて下記続きます。
「カーターは選挙運動で反ワシントン主義と反体制主義を巧みに掲げ、新たなアイデアを政府にもたらすことを誓った。そのため、カーターが三極委員会の会員十五名を自政権のメンバーに選んだときは、随分驚いた。その多くが前政権に属していた者たちだ。」(P.533)
ビルダーバークについては、このように書いています。
「ビルダーバーグは本当に、きわめて興味深い討論グループで、年に一度ヨーロッパと北アメリカの両方にとって重要な問題を論じ合っているーただし、合意に達することはない。一九五四年五月、オランダのベルンハルト王子が、貴族出のポーランド人ヨーゼフ・レテインガーのあと押しを受けて、第一回ビルダーバーグ会議を招集した。レテインガーは第二次世界大戦中、イギリスの情報機関に勤めていた。」
(P.525)
「招待されたアメリカ人は私を含めて十一人。私は西欧十一カ国から集まった五十人の代表者たちに仲間入りをした。政治家、実業家、ジャーナリスト、労働組合員と、多種多彩な顔ぶれだ。」
疲れたので、これぐらいで、終わり。ウキペデイアには、今年のビルダーバーグ会議は、5月14日-16日ギリシア・アテネと書いてあったけど、どうなのだろう。
「三極委員会は、ビルダーバーグと同じく、陰謀論者たちが描写するよりもずっと温和な組織だ。委員会の結成は、幅広い基盤に立って、国家間の差異の橋渡しをしようとする試みなのだ。この場合、橋渡しとは日本を国際社会に招き入れることだった。」(P.531)
ビルダーバーグへの日本人の参加を打診したが断られたため、ブレジンスキーさんと話し、宮沢喜一、大来佐武郎らを招待した勉強会(日本人4名)が開催され、翌年の1973年10月に「日米欧委員会」が誕生した経緯も書かれています。
「わたしたちは会員網を広く張り巡らして、労働組合の指導者、企業のCEO、著名な民主党員と共和党員に加えて、名高い大学教師、大学の学長、外国関連の非営利団体の会長をスカウトした。アメリカで最もすぐれた知性の持ち主と思える人物ばかりだ。ヨーロッパと日本でも、これに匹敵する高名な代表者が集められた。」(P.533)
最初に集めた委員のなかに、「無名の」ジョージア州知事のカーターさんが入っていたことが、予期せぬ結果をもたらしたと書き、予期に反して大統領に当選してしまったカーターさんについて下記続きます。
「カーターは選挙運動で反ワシントン主義と反体制主義を巧みに掲げ、新たなアイデアを政府にもたらすことを誓った。そのため、カーターが三極委員会の会員十五名を自政権のメンバーに選んだときは、随分驚いた。その多くが前政権に属していた者たちだ。」(P.533)
ビルダーバークについては、このように書いています。
「ビルダーバーグは本当に、きわめて興味深い討論グループで、年に一度ヨーロッパと北アメリカの両方にとって重要な問題を論じ合っているーただし、合意に達することはない。一九五四年五月、オランダのベルンハルト王子が、貴族出のポーランド人ヨーゼフ・レテインガーのあと押しを受けて、第一回ビルダーバーグ会議を招集した。レテインガーは第二次世界大戦中、イギリスの情報機関に勤めていた。」
(P.525)
「招待されたアメリカ人は私を含めて十一人。私は西欧十一カ国から集まった五十人の代表者たちに仲間入りをした。政治家、実業家、ジャーナリスト、労働組合員と、多種多彩な顔ぶれだ。」
疲れたので、これぐらいで、終わり。ウキペデイアには、今年のビルダーバーグ会議は、5月14日-16日ギリシア・アテネと書いてあったけど、どうなのだろう。

この記事へのコメント
未読本が多すぎて困ってますので、この記事の続きに期待しています!
トラックバックいただいたサッチャーさんの「英国に限らずどの国も主権国家なのだから、自国の主権を放棄してはならないのであり、自分がビルダーバーグの非難を受けたことは『貢献』だったと考えている」というコメントは検索したのですが、出典がわかりませんでした。「ビルダーバーグは共謀のうえ、マーガレット・サッチャー英首相を政権の座から追い落とした。イギリスの主権を、彼等の描いたEUに引き渡すよう強要したのに、サッチャーにはねつけられたからだ。」という記述を別ブログで拝見しましたがこれも出典がありません。サッチャーさんの長男が2004年8月赤道 ギニア共和国でクーデターを謀議した容疑で逮捕されたとき、政争では?と書いていたかたがいましたが。
コメントありがとうございます。先日は検索でお邪魔したのですが、もっと前に拝見していたような気がします。「ロックフェラー回顧録」は2007年10月に買いましたそのときのエントリーが下記です。
http://sansaku.at.webry.info/200710/article_5.html
ゴールデンウイークは家族で近場の公園めぐり中でUpは少ないと思いますが、それぞれの会議の目的のところが抜けてしまったので後日Upしたいと思います。
ちなみに、本を読むときは、批判的に読むのではなく、書き手の心情にそって、肯定的に読むようにしています。
わざわざコメントにいらしていただき、お手数かけました。お尋ねのコメントに伺おうかと思ったのですが、外出してしまいました。東京は雨です。
連ちゃんで興味深いエントリありがたいです!
>ロックフェラ回顧録
って、本当のことはどのくらい書いてあるんですか?
わかりません。ただ興味深い話はたくさん書いてあります。第二次大戦中、北アフリカで「信頼のおける大きな情報提供者網を創り出し、刻々と変化する北アフリカの政治状況について綿密な報告ができるようになった」と書いています。諜報活動、人脈の構築ですね。「振り返ってみると、戦争の日々はかけがえのない訓練と実験の場となり、後年のわたしの行動に多くの影響を与えた。とりわけ、具体的な目標達成の手段として、しかるべき立場の人々との人脈を築くことがいかに重要かを知ることができたのは意義深かった。わたしが生涯を通じて実践した人脈作りは、ここから始まった。」と書かれています。